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<浅丘ルリ子という女優>(朝日ソノラマ編集部)
浅丘ルリ子という呼吸(いき)の長い強靭な女優は、いまの日本映画ではちょっと珍しい存在ではあるまいか。
一見弱々しい身体のなかにちらりと見せるシンの強さ。神経質のようでいて、ときおり人をはっとさせるほどの逞しさ。
彼女のなかには、こういった、強く逞しいものが、大地に横たわる鉱脈のように秘められている。
なるほど女優としての生命が長く、また人気の上でも浅丘ルリ子をしのぐ女優はまだまだ他に数えることもできるであろう。
しかし女優としての未開拓の土壌を内に秘めているという点で、彼女は確かにユニークな女優である。
人はよく彼女を評して「いつ観ても初々しい」という。スクリーンに表現される浅丘の女は、確かに新鮮であり、可憐である。
”清純スター”という彼女に冠せられた言葉は彼女のこういった一面を掴んだものであるが、それが彼女の全てではないはずだ。
浅丘ルリ子は変わりつつある。むしろ従来の”清純スター”という看板に、ある色彩を彼女自らの筆で彩ろうとしている。
浅丘ルリ子の本名は浅井信子、新京(満州)で生まれた。そしてすぐにバンコックへ。そこで4歳まですごしたが、
彼女の中にひそむ、どこか異国的なムードは、こうした生活の環境の影響も受けているに違いない。
「私は夏が一番好き。あのきらきらした樹木や水の色を見ると急に元気が出てくるの」彼女のこんな言葉の中に、
いかにも浅丘ルリ子という女優の内面がうかがわれるのである。
昭和29年の冬彼女が小学校6年の冬、日活が北条誠の連載小説「緑はるかに」の映画化を決定したとき、主役の薄倖の少女役
に応募、水の江プロデューサーに認められて日活に入社することになった。
幸せを求めてさすらう少女と緑の小筺の運命を描いた作品で有ったが、浅丘の女優としてのこうした出発はなにか暗示的な
ものを含んでいる。
浅丘ルリ子という芸名は、井上梅次監督から主役の少女のルリ子の名にちなんでつけられたものであり、またこの作品は、
日活初めてのカラー作品で有った。
この作品は、好評を持って迎えられたが、ことに、不幸な少女を演じた浅丘の可憐な詩情は、無名の新人の彼女に一躍華やかな脚光を浴びせることになったのだ。
その後彼女は日活の貴重なスターとして、ほとんど毎月二本の割合で出演、清潔で可憐な雰囲気をスクリーンに醸し出し、33年にはプロデューサー新人賞を獲得した。
浅丘ルリ子の名を決定的なものとしたのは33年秋の芸術祭参加作品「絶唱」であった。
小林旭とコンビを組んで演じた素朴な山村の乙女の悲恋は、いつまでも浅丘ルリ子と言えば「絶唱」を想い起こさせるほど深い印象を与えたのだった。
これが機縁となって、彼女は小林旭とのコンビが続く。いわゆる渡り鳥シリーズ。流れ者シリーズがそれであるが、アキラ・ルリ子コンビは、日活のドル箱的存在になった。
一方彼女は、文芸もの、社会ものといわれる作品にも主演、「雑草のような命」「処刑前夜」「どじょっこの歌」の中で見せた女の微妙な心理は、彼女の奥行きの深い演技力を示すものであったが、彼女の演じてきた女の中に通っているシンとなるべきものは、どこまでも、ときには彼女に弱々しい印象を与えるほどの清潔さであった。
これが、がらりと変わって、それまでの彼女に見られなかったものを打ち出したのが、昨年の「憎いあンちくしょう」である。
世間ではこれを浅丘の演技開眼と言ったが、彼女にいわせれば「女の本能を何の気取りもなく、正直に演じただけ」ということになろうか。
しかし清純スターとして眺められてきた浅丘にとって「憎いあンちくしょう」で見せた文字通り身体を張った演技には、相当の勇気が必要だったにちがいない。「お人形のような女ではなく、人間として傷つき、汚れに染まった女をやってみたい」と、彼女は今撮影中の「何か面白いことないか」でもあくまでも前向の姿勢だ。
彼女は、今歌にも意欲を燃やしている。作曲家牧野昭一氏に指導を仰ぎ、このほど朝日ソノラマに「悲しみよさようなら」「新さのさ」「稗搗節」「島原地方の子守唄」など4曲を吹き込んだ。
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